情報社会は、 コンピュータ (computer) の発明をその出発点にしています。 しかし、 コンピュータの利用が特定の研究機関での科学技術の計算や ビジネス現場での事務処理の合理化のみ使われていた初期の時代では、 その影響は限られたもので、 情報社会という見方はありませんでした。 やがてコンピュータと通信ネットワーク技術と結び付くようになると、 その影響は個人の生活まで含めて、 社会のあり方まで変えるような大きなものになると認識されるようになりまし た。 そして安価高機能なパーソナルコンピュータ (personal computer、 パソコン) が急速に普及し始めると、 多くの人が情報社会を現実のもの見るようになってきたのです。
情報社会に限らず、 新しい技術の普及によって社会が大きく変わる時代では、 一人一人の人間が技術的な機構・使用方法に単に習熟するだけでなく、 その技術を用いたさまざまな行為が人間・社会に及ぼす影響を正しく理解し、 制御できるようになる必要があります。
「情報C」では、 情報化の進展が人間関係や企業活動のあり方に与える変化を、 情報技術の基礎を学びながら考えていきます。 本章ではまず情報社会について概観し、 2章以下でより具体的な事柄について詳しく学んでいきます。
新聞などの報道でよく見られるこの 「情報社会」 あるいは 「情報化社会」 といった言葉は、 1960年代末に日本で作られました。 この言葉は、 コンピュータの普及による社会変化をうまく表わしていることから、 やがて世界中で広く使われるようになりました。
「情報社会」という言葉は、 毎日のように新聞やテレビに登場しますが、 「情報社会」の捕らえ方は学問分野や個人の認識の仕方でかなり幅があり、 必ずしも数学用語のようにきっちりと定義されているとは限りません。 しかし、 議論を進めるには言葉をある程度明確にしておく必要があります。 そこで、 「情報社会」という言葉の意味について代表的な見方を見てみましょう。
情報社会の見方の一つに、 情報社会は高度に発展した工業社会に他ならないというものがあります。 なるほど情報社会では知識 (knowledge) や情報 (information) といった抽象的なものの役割や価値が、 工業製品といった物的価値と比べて同等あるいはそれ以上に大きくなってきまし た。 しかし、 その変化は、 例えば第三次産業の国民総生産に占める割合が他の産業分野に対して大きくなる というような 「産業構造の変化」 にすぎず、 産業革命以来の工業社会の本質はなにも変化していないという見方です。 この見方は、 現代人と古代人では生活スタイルは随分変わっているが、 人間の本質は大昔から変わっていないという見方に似ています。
先のような見方に対し、 情報化が人類社会に及ぼす影響は、 産業革命以降の工業社会の枠組みを根底から変えるようなものを持っているとい う見方です。 つまり、 情報化がもたらす社会変化は 単なる、 「産業構造の変化」 に留まらず、 人間関係や政治経済の構造、 さらに国際関係から個人の精神生活までも幅広く変える文明革命の時代だという ものです。 この見方は、 生物としての人間は古代から変わっていないとしても、 精神文化のあり方は古代人と現代人とでは随分異なっているので、 もはや古代人と現代人とは異なった人間と見たほうがよい、 という見方に似ています。
情報社会を考える上で基礎となる科学技術とはどのようなものなのでしょう。 それを知るには、 今日、 情報科学 (information science) やコンピュータサイエンス (computer science) と呼ばれている学問の基礎を理解する必要があります。 基礎の理解とは、 パソコンといった情報機器やワープロや表計算ソフトなどの応用ソフト (application software ) の単なる操作方法の知識を暗記することではありません。 これらの暗記に頼る操作方法の知識は、 今日のように情報技術の革新が激しい時代では、 すぐに古くなります。
どの学問分野であれ、 基礎となる部分は応用技術の変化のように激しく変化するものではなく、 また応用範囲の広いものです。 基礎を学ぶにあたっては、 それぞれの時代をリードした事柄を時代背景の中で考えながら、 人間の心の営みを通して感じ取るということが大切です。 学問は常に発展し、変化するものであるから、 単に既存の学問成果を知識としてまる暗記するのでは、 基礎を学んだことにはなりません。
科学技術というとしばしば芸術と対比したもののように語られることが多いです が、 芸術の表現も技術のあり方に深く関係しているのです。 新しい画材、 楽器の発展抜きに新しい芸術活動も生まれなかったのです。 科学技術も、 どこかで芸術鑑賞に似た気持ちで学ばなければ、 その功罪の真の姿は見えてこないのです。
科学技術の面から文明を振り返ってみると、 人類はかって農業革命と産業革命という2つの革命を通して、 農業社会と工業社会という文明を生み出してきました。 これと同様、 今日の情報社会も 「情報革命」 と言うのに相応しい技術上の発明によって生まれてきました。 まず、 それそれの文明革命を簡単に概観してみましょう。
人類の文明にとって、 第1の革命は農業革命といわれています。 農業が発明される以前、 人類は自然に自生する植物や動物を食料として採取して、 食料が乏しくなれば移動するという生活をしていました。 この時代は狩猟社会といわれ、 簡単な道具の利用はあったにせよ、 その時代は人間が自然に働きかけて食料を生産するのではなく、 あくまで自然に産するものに依拠したものでした。 いわば、 生産せずに消費するという意味で、 他の動物と本質的にはあまり変わりのない生活をしていたのです。
やがて長い年月の内、 おそらくはある偶然を経て、 食料を自らが栽培するという農業が発明され、 定住という生活スタイルが生まれました。 定住しての農業は、 灌漑技術の革新により一層の食料増産が可能となり、 余剰生産の蓄積も起ってきました。 その結果、 富の分配や余剰物や大規模な灌漑の管理などの必要性から、 税といった現代に繋がる社会システムが生まれました。
農業こそ、 今日に繋がる「社会的生物としての人間」 の生みの親であり、 それゆえ農業の発見は、 農業革命と言われるに相応しいのです。
第2の革命が産業革命です。 産業革命以前の時代では、 狩猟にせよ農耕にせよ、 また移動手段にせよ、 すべての人間生活の元となるエネルギーは、 人力 (たとえば奴隷) や牛、 馬といった家畜、 水力や風といった自然エネルギーでした。
注目すべきことは、 農業社会で利用される自然エネルギーが、 結局のところ人間という動物の肉体労働と等価等質ということです。 そして、 エネルギー源としての家畜や自然には、 たとえ使用しない時でも食料を与えて養っておかなければならないとか、 水力や風力は好きなところに動力源を設置できないといった多数の制約がありま す。
しかし、 蒸気エンジンの発明に始まる人工エネルギーの発明は、 必要な時に必要な場所で動力を利用できる機械文明を生み出す契機となりまし た。 特に、 電気エネルギーの発明は、 それまでとは比較にならないほど小さな動力源を可能にして、 この流れを加速しました。
第3の革命が情報革命です。 この革命の本質を理解する際、 情報や知識の価値が重視されたのは、 なにも情報社会という時代になってからではないということを忘れてはいけませ ん。 なぜなら、 たとえば獲物はどこにいるのか、 台風は来るのか、 干ばつの時どこを掘れば水が得られるのか、 敵はいつ攻めてくるのか、 消費者はどのような商品を望んでいるのかというように、 情報や知識はいつの時代でも重要であったからです。
「知識 (knowledge) ・情報 (information) の社会に占める役割や価値が工業製品と同等あるいはそれ以上に大きくなった社 会」 を、 単に「知識 ・情報 が重視される社会だな」と単純に見ることは、 情報社会の本質を見誤ることになります。
では、何が本質的に変わったのでしょう。 それは、 コンピュータ (Computer) の発明をきっかけとした情報革命にあります。 コンピュータは当初、 複雑な計算をすばやく行なうための、 文字通り「計算機」の一つとして発明されました。
その際、 ブール代数と呼ばれる2つの離散数値を扱う数学が計算の自動化に適しているこ とから、 コンピュータでは二進数が使われるようになりました。 やがて、 文字は本質的に離散 (デジタル) 情報であることから、 文字情報を二進デジタルで表現することにより、 文字情報処理へのコンピュータ利用が始まりました。 その後、 連続的な変化で表現される絵画や音などを二進デジタル情報に変換することの研 究が進み、 多くの情報がコンピュータで処理できるようになりました。
もっとも重要なことは、 コンピュータの出現によって人類は始めて、 人間の頭脳労働 (現状ではその一部分) の肩代わりしてくれる機械を手に入れたということです。 コンピュータがそろばんや機械式の計算補助道具と決定的に異なっているのは、 このことなのです。
工業社会が「肉体労働の外部化」という産業革命によって生み出されたように、 情報社会は 「頭脳労働の外部化」という技術革新がきっかけとなって生れた社会であり、 科学技術文明の歴史から見れば、産業革命に匹敵する新しい文明社会なのです。
人間の頭脳 | 現在のコンピュータ |
---|---|
計算といった情報処理 | 実現 |
情報の加工 | 実現 |
意思決定や判断 | 補助手段として一部実現 |
感情の処理 | まだ実現していない |
コンピュータ (あるいはコンピュータを組み込んだ機器) が単独で機能している状態とコンピュータが通信ネットワーク (digital communication network) に繋がった状態では、 情報化が社会にもたらす影響は大きく異っています。
例えば、 コンピュータと通信が有機的に繋がった喫茶店を考えてみましょう。 この喫茶店で客がウエイトレスに注文をすると、 ウエイトレスは携帯用通信端末に客の注文を入力します。 入力されたデータは厨房とレジに同時に通信機能によって転送され、 客にはレジ清算用のコードが振られた伝票が手渡されます。 客が店を出る際、 レジ係りは伝票のコードを、 たとえばバーコード読み取り機でキャッシュレジスターに読み取らせ、 代金を受け取ります。 ここまでの人間の動きは普通の喫茶店とおなじです。
しかし、 通信ネットワーク化が行われていると、 読み取られたデータは瞬時に事務所に転送され、 一日の各商品の売り上げ集計はおろか、 時間毎の売り上げ状況、 材料の在庫管理といった細かな作業まですべて自動的に出来てしまうのです。 この威力は複数の支店をチェーン店として展開している場合により大きく発揮さ れます。
最近、 インターネット (Internet) という言葉をしばしば耳にしますが、 インターネットもコンピュータが通信回線で網の目のように繋がったシステムの 一例です。 近い将来には、 いま各家庭にテレビや電話が行き渡っているようにインターネット技術が普及す るのは間違いありません。 この段階の社会で豊かな人間関係を保って生きていくためには、 どのようなことを考えなければならないのでしょうか。 このことを見てみましょう。
私たちは毎日、 新聞やテレビなどのマスメディアから多くの情報を得ています。 また、 友人と直接会って話をしたり、 電話や手紙でコミュニケーションからも情報を得ています。 しかし、 個人と情報の関わりという意味でいえば、 新聞やテレビなどのマスメディアと電話や手紙とでは大きな違いがあります。
たとえば、 個人が勝手にラジオやテレビ局を開設することは法的に許されていません。 また、 ある事柄に関する意見を新聞やテレビに投書しても、 必ずしもそれが掲載されるとは言えません。 たとえ掲載される場合でも、 発表時期、 形態、 校正といったものは、 新聞社やテレビ局といったマスメディアの編集や編成方針に沿ったものとなりま す。 同じことが投書記事に対する反響や反論が発信者に戻ってくる時にも起こりま す。
では、 自費出版で本を出したりミニコミ新聞を出す場合はどうでしょう。 このようなことには相当の金額がかかり、 日本全体や世界に向かって配布することは極めて困難といえます。
このように従来の社会で情報産業といわれているマスメディアは、 広く社会の情報を個人に伝える機能は充実していますが、 逆に個人が情報を社会に向かって発信するには適していません。 情報の流れが個人に向かって片方向に流れているからです。
これに対し、 電話や手紙といったメディアは、 情報の発信者と受信者とが相互に入れ替われるというマスメディアにない利点を 持っています。 つまり、 情報が双方向に流れているからです。 しかし、 その広がりは個人対個人、 あるいは仲間内といった比較的狭い世界に過ぎず、 とてもマスメディアが社会に与える影響の広がりはかないません。
情報社会では、 このような状況に大きな変化が生まれつつあります。 WWWページ (Webページ) に象徴されるように、 情報社会では、 個人が比較的小額の資金で世界に向かって情報発信できるようになります。 WWWページには、 ページを見た人 (情報受信者) がページ作成者 (情報発信者) に意見などの情報を送れる機能を持たせることができます。 このことは、 情報発信者(私)と情報受信者(他者)とが直接双方向的に繋がることを意味し ます。
例えば、 あなたが疑問に思っていることや意見をインターネットのWWWページやパソコン 通信の電子掲示板に乗せて世界に向けて情報発信したとします。 すると、 あなたの質問や意見に対して直接見知らぬ人から答が届けられることは珍しいこ とではありません。 これとは逆に、 あなたがWWWページを見る立場にたって情報検索をしていると、 新しい知識を得たり、 あなたが解答者になったりします。
インターネット上ではさまざまな情報サービスが利用されていますが、 その代表的なものに電子メール (electric mail) やWWW (World Wide Web ワールドワイドウェブ) があります。
WWWでは、 情報発信者が公開するひとまとまりの情報のことを、 プレゼンテーション (presentation)と言います。 プレゼンテーションは、 ブラウザ (browser。WWWを参照するためのソフトウェア) の画面に表示されるWebページと呼ばれる単位が1つ以上集まってできています。 Webページどうしはその中に埋め込まれているリンクと呼ばれる部分を選択する ことで互いに行き来できます。 なお、 プレゼンテーションという言葉は、 「一般的な実演、 発表、 説明」 などでも使われるため、 WWWでは 「WWWプレゼンテーション、 WWWページあるいはWebページ」 と言うことが普通になっています。
では、 よく見聞きするホームページとは何でしょう。 実はホームページという言葉は、 WWWを参照するときに起点となるようなページをさす言葉なのですが、 「起点」 のとり方はいろいろ考えられます。 たとえば、 (1) ブラウザのスタートアップページ、 (2) サイトの入口ページ、 (3) プレゼンテーションの入口ページなどです。
ホームページという言葉は、 プレゼンテーション全体、 WWW全体、 どれか1つのWebページなどを指す言葉ではありません。 ブラウザで参照されるものなら何でも 「ホームページ」 と呼ぶ人もいますが、これは正しい使い方 ではありません。 ホームページという言葉を使うときは、 このような誤解や行き違いがないか注意してください。
個々の人が作ったいくつかのWebページは、 サーバ (server) と呼ばれるコンピュータでまとめて管理されています。 WWWページの管理されている場所のことWebサイトといいます。
ブラウザには、 私たちがよく見かけるものの外に、 目の悪い人のために音声でページを読み上げるもの、 文字しか表示しないもの幾つもの種類があり、 同一のWWWぺーじでも視聴するブラウザーによって表示方法が異なる場合がおこ ります。 ですから、 WWWプレゼンテーションを作成するときには、 さまざまな環境で読む人があることを考慮し、 伝えたい情報の本質部分がすべての人に伝わるよう配慮して作ることが重要で す。
具体的なWWWプレゼンテーションの作り方は、 4章で詳しく説明してあります。
国境を超えた国の見知らぬ人々が従来の社会では考えられない安価な費用と短い 時間で直接双方向的につながる社会、 それが情報社会なのです。
このように、 情報社会では、 「知」 が通信ネットワークを通して時間や空間を超えて共有されます。 「知」 が共有されるということは、 情報に関して平等性が高まったということを意味し、 独裁社会の出現を抑制する機能が高まるといえます。 なぜなら、 これまで出現した独裁社会では、 不必要なまでに情報が独占され、 隠され、 都合よく加工された情報だけが流されることが常だったからです。
情報社会では、 これまでの社会では考えられなかったほどの多量なやり取りできるように成りま したが、 この社会を民主的に運用するには、 責任を持って情報を発信し、 受け取った情報を鵜呑みしないことがこれまで以上に必要となります。
個人が世界に向かって情報発信できるということは素晴らしいことですが、 問題もあります。 いくつかの例を見てみましょう。
ネットワークを通して個人が社会と直接繋がる情報社会は、 これまで以上に情報選択と、 情報発信時における個人の責任とが問われる社会なのです。
情報処理技術が日常生活に活用されるにつれて、 情報処理技術を活用した産業の効率化が行なわれるようになりました。
本節では、 各々の産業において、 情報処理技術がどのように生かされているかについて説明します。
情報処理技術と企業の関わりは、 大きく分けて、
1. 企業活動の中に情報処理を生かすもの
2. 情報処理そのものを企業活動とするもの
の2通りがあります。
前者では、 その企業の本来の業務の効率を良くするために、 情報処理技術を活用します。 コンピュータによる情報処理技術が存在していなかった時代から存在していた産 業に、 新しい情報処理技術を生かされるようになってきました。 それに対して後者では、 情報そのものを商品にしたり、 情報処理を行なうシステムを商品にします。
以下では、 情報処理技術と企業の関わりを具体例を通して検証します。
農業・漁業などの第1次産業と呼ばれる産業では、 生産活動の効率化に情報処理技術が用いられます。
例えば、 農業においては、 各農作物を植え付ける最も効率のいい時期・畑の位置などを、 気温・土壌などの変化をもとに判定したり、 植え付け・収穫・出荷を行なう機械を制御したりするのに使います。 漁業においては、 コンピュータが船の運航を制御したり、 魚群探知器を制御しています。
また、 製造された農作物・魚を出荷する仕組みは、 以降に述べる商品の流通システムを活用することになります。
さらに、 ネットワークシステムを活用すれば、 特定の農産品の出荷時期を制御して安定供給に役立てることが出来ます。 また、 漁産品の水揚げの多い場所をデータベース化することで、 より効率的な漁を行なうことが出来るようになります。
工場内のさまざまな生産機器をコンピュータを用いて制御することで、 より人間の手を使わない工場を作ることが出来ます。
自動車工場を例にとって考えてみましょう。
この例に見るように、 現在の工場の生産システムはコンピュータ・ネットワークなしには考えられない ものです。
商品の流通を行なう商業では、 大量の流通情報や価格情報などがコンピュータ・ ネットワークを使ってやりとりされています。 また、 金融業では、 預金残高・ 貸し付け金額の管理などにコンピュータが用いられている他に、 外国為替取り引きなどには、 ネットワークを使った取り引きが行なわれています。
銀行を例にとってみましょう。 複数の支店を持つ銀行の場合は、 預金者の預金残高をネットワークを使って管理しています。 預金者から新たな預金や引き出しがあると、 ネットワークを使って預金残高を調べ、 適切な処理が行なわれます。
コンピュータネットワークを使っていなかったころの銀行では、 印鑑による認証が大変重要な意味を持っていましたが、 現在は、 「暗証番号」 を使って認証を行なうことが普通です。
また、 利子を計算したり、 他の銀行などに振込を行なうことにもコンピュータネットワークは活躍していま す。 さらに、 私達が日本の貨幣を外国の貨幣に両替をするときのために、 銀行はあらかじめ外国の貨幣を持っていますが、 これらの貨幣はネットワークを通じた海外取り引きを使って入手するのが普通で す。
今までに取り上げてきた企業活動は、 情報処理をその企業の本来の目的に生かすものでしたが、 情報そのものを商品にしたり、 情報処理を商品にしたりする企業があります。 また、 これらの情報処理に必要なさまざまなソフトウェア・ ハードウェアを商品とする企業もあります。
例えば、 新聞社・出版社・テレビ局・ラジオ局などは、 そこに書かれているものを商品としていますから、 情報を売る企業であるということがいえます。 特に、 辞書・辞典などの大量の情報をまとめたもの、 新聞・ニュースなどの速報性が必要な情報、 美しい風景・芸能などの娯楽性のあるものなどが、 情報としての価値を持っています。
これらの情報を販売する際には、 従来は、 新聞を配布したり、 本を出版したり、 電波にのせて映像・音声を放送するなどの 「従来型のメディア」 を用いていましたが、 情報処理、 特にインターネットの普及に伴い、 それまでのメディアに縛られない情報配布メディアが登場し始めました。 さらに規制緩和に伴って、 新たにインターネットをメディアとして用い始めた企業が、 従来型の他のメディアに進出を始めようとしています。
また、 こういった情報の他に個人情報を商品にする企業もあります。 しかし、 このような企業の中には、 本人に同意を得ないで入手した情報を他の企業に販売している企業もあり、 その結果、 プライバシーの侵害につながり社会的問題となる事件も発生しています。
ある人、 あるいはある企業が、 その人・企業の手に負えないほどの大量のデータからあるものを計算しなければ ならないとき、 これらの処理を行なう仕事を 「情報処理産業」 といいます。
例えば、 企業の金銭の出入りを管理する会計士や税理士、 大規模なアンケートや試験の得点の処理などを行なう企業などがあげられます。
これらの産業は、 情報流通全体の中では、 情報発信者でもなければ、 情報の消費者でもありません。 それゆえに、 情報流通社会の中では非常に重要な位置を占めています。
現在、 コンピュータを生産する企業は、 もともとコンピュータ以外の電機製品を生産していた企業と、 コンピュータだけを生産している企業に分かれます。 しかし、 コンピュータを生産すると言っても、 コンピュータのどの部分を生産するかによって、 企業のあり方が異なります。
コンピュータの内部にあるCPUと言われる部品の設計は特に難しく開発費用がか さみます。 また、 生産された製品の特徴がその後の売行きに大きな影響を与えることから、 CPUを生産している企業はそれほど多くありません。 それに対して、 メモリと呼ばれる部品の場合、 世界的に規格化された部品が多く、 部品が単純なパターンから構成されているので、 CPUと比較してより多くの企業が開発・生産を行なっています。 とは言っても、 メモリを生産する工場一つ作るだけでも膨大な費用がかかりますから、 CPUやメモリを生産している企業は、 世界的にも大手の企業ばかりです。
これらの部品を始めとして、 多く部品はその部品を専門に作る世界中の企業によって生産され、 市場に流通しています。
コンピュータは、 ハードウェアと呼ばれる部品だけでは動作しません。 これに、 ソフトウェアがあって初めてコンピュータとして機能することが出来ます。
ソフトウェアには、 OSと呼ばれる基本的な動作を制御するソフトウェアからはじまり、 通信・文書作成・計算などを行なう応用的なソフトウェアや、 かな漢字変換を行なうソフトウェアなどもあります。
ソフトウェアも、 ハードウェアと同様に、 一度ある企業の定めた形式が普及してしまうと、 他の企業がこの分野に参加しにくくなると言う特徴があります。
ソフトウェアを作成するには、 情報科学の知識、 特にプログラム作成の理論などに通じている必要がありますが、 その他に、 実際にコンピュータを使っている人からの希望などを聞き、 より使い易いソフトウェアを製作する能力も大切です。
この節では、 情報処理技術を活用する企業のあり方や、 それらの記述を提供する企業のあり方についてみてきました。
しかし、 毎日のように新しい情報処理技術が開発され、 新しいコンピュータ・ ネットワークの使い方が発明されています。 また、 情報処理技術も使い方次第では、 逆に企業の生産性を下げたり、 プライバシーや企業秘密が洩れてしまったり、 その他多くの犯罪につながってしまうことにもなります。
例えば、 それまでは手書きで行なっていた掲示をコンピュータを使ってきれいに清書する と、 より時間がかかってしまうことになります。 しかし、 同様の掲示を毎年のように行なう場合は2年目以降にはそれほど多くの時間がか からなくなるでしょう。 また、 この掲示をネットワークを通じて他の箇所でも見ることが出来るようにすること が必要な場合は、 コンピュータに入力することが必要になります。
しかし、 このようにして入力した情報が外部に洩れてしまっては困るような情報の場合、 セキュリティ対策を講じていないネットワークを用いて掲示するのは危険です。
国際標準化機構ISOは、 このような文書管理方法についての規格を定めており、 多くの企業がISOの定めた管理手法にのっとって文書管理をするようになりまし た。